伊丹のおくりびとブログ

清め塩

2024.03.19

先日、質問を頂いた「清め塩」について

少しお話をさせて頂きます。

 

 

最近、お葬式の会葬御礼(会葬礼状)に

清め塩が入ってない事に気付きました?

 

全てではありませんが

清め塩入りの会葬御礼は

随分少なくなりました。

 

 

さて、

清め塩は

何故なくなったのでしょう。。

 

 

無くなった理由の前に

意味とルーツを見てみます

 

まずはお塩で行う清め「禊払」について

 

禊払で清めるのは「穢れ」(不浄)

 

その「穢(ケガレ)」、

 

歴史をう〜〜んと遡ると

「穢」は古代インドを中心とした

バラモン教に始まると言われています。

 

バラモン教における「穢れ」には

「死穢」と「産穢」があり

非日常的な死と産は神秘的で

畏敬すべき事象として

日常生活から隔離する意味での

「穢」であり

まだ不浄観はありませんでした。

 

 

日本での記録として

日本書紀から「穢」の概念に

「不浄」が付加されたのが646年の事。

 

黄泉の国から帰って来た

イザナギノミコト(伊弉諾尊/伊邪那岐命)が

海に入っておこなった禊祓

 

黄泉の国=死者の国

 

黄泉の国でたくさんの死者を見て

「いやな見る目の厭わしい」と言って

禊祓を行ったと残されている。

 

この禊祓が「穢れを祓う儀式」として

定着していく中で不浄観が伴うようになる。

 

 

その禊祓をしたのが海水。

 

海水といえば「塩」

 

塩は古代より世界各地で

清浄、浄化のシンボルと考えられ

神聖視されて来ました。

 

神棚にもお供えされているように

「塩」は清浄なものとして

日本神道にも取り入れられました。

「塩」は神道において

不浄を祓うためのもの。

 

 

昔々、医学が未発達で

「死」の理由が分からなかった時代

 

「死」は「穢れ」であり

「穢」は「伝染る」ので

お塩で清める(禊払)

 

それが清め塩の意味。

 

 

清め塩の意味をご理解頂いた所で

「なぜ清め塩が不要なのか」

についてお話します。

 

先ほどもお話ししたように

穢れを不浄として捉えるのは神道で

バラモン教や仏教では

穢れに対する不浄観が無い。

 

簡単に解りやすく言うと

 

仏教では「死」を不浄としない

のです。

 

不浄じゃないので清める必要がない

のです。

 

仏教において

お葬式は故人を偲び送り出す場

であると同時に

仏法に触れる事ができる、

ご仏縁を頂ける

ありがたい場でもあるのです。

 

故人様とのご縁に感謝する場で

御仏縁に感謝する場としてのお葬式。

 

そこには不浄もないし

清める必要もない

 

そう、仏式のお葬式では

清め塩は必要ないのです。

 

今でも神道のお葬式では

祭壇に盛り塩もするし

会葬御礼に清め塩をつけますが

仏式のお葬式で「清め塩」は

要らないのです。

 

 

と言うお話しでした♪

 

長々とお話しましたが

最後までお付き合いくださり

ありがとうございます♪

 

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